こんにちわ。こちらは『チョコレートをエンターテイメントにする』をテーマに、×Chocolatのakiが綴るブログです。チョコレートの面白さについて、様々な角度から発信しています。
さて、今回からは少し方向を変えて、チョコレートの歴史のお話です。
まぁそう言わずに。現在世界中で親しまれているチョコレートは、紀元前から利用されていました。ここでは、当時のチョコレートがどんなものだったのか、どのように利用されていたのかについてお話ししますね。
それでは早速、進めていきましょう!
メソアメリカとは?
地域
メソアメリカというのは中米のほぼ真ん中の地域を指す言葉です。メソというのは古代ギリシア語の「mesos」という言葉に由来していて、「中間」という意味があります。つまりアメリカの真ん中っていう意味ですね。
様々な文明
メソアメリカでは様々な文明が発展しました。その文明としてはこのようなものがあります。
- サポテカ文明(紀元前1400年〜1150年)
- オルメカ文明(紀元前1200年〜紀元前後)
- マヤ文明(紀元前2000年〜1521年)
- アステカ文明(1325年〜1521年)
その辺りは結構有名ですよね。1521年にスペイン人のエルナン・コルテスによってアステカ文明が滅ぼされるまで、高度な文明を保っていました。暦や文字が発達し、トウモロコシなどの農業も発展してたみたいですね。
カカオの利用法
これらの文明でカカオはとても神聖なものとして扱われていました。詳しいことが分かっているのはアステカ文明で、そこでは
- 儀式の捧げ物
- 薬
- 貢物
- 交易品
- 飲み物
- 通貨
などとして利用されていたようです。
飲み物としてのカカオ
特にカカオは当時位の高い人のための飲み物として加工されていました。この飲み物は収穫したカカオ豆を焙煎し、「メタテ」と「マノ」と言われる石臼のようなものですりつぶし、水と唐辛子などの香辛料、トウモロコシの粉を加えたドロドロとした液体だったようです。
現代のココアやショコラショーからすると、砂糖も入っていないこの飲み物、全然美味しそうじゃないですよね。当時の人々もこの飲み物のことを「苦い水」という意味の「ショコラトル」と呼んでいて、これが現在のチョコレートの語源になったと言われています。
このショコラトルに、植物から抽出した赤い着色料を加えて彩色することもあったようです。そうすることで色が生贄の血のような色になり、権力を見せつけるものとしても利用されていたようです。
またショコラトルは出来るだけ泡が立っているものの方が良いとされ、陶器から陶器へ何度も注ぎ変えをして提供されていました。そして装飾がついた容器に入れることで、飲み物としての価値を誇示していたとも言われています。
通貨としてのカカオ
当時はカカオが通貨としての役割も担っており、労働の報酬や年貢にもカカオが用いられていました。価値としてはカカオ豆30粒でウサギ1羽と交換できたようです。
そんなカカオにヨーロッパ人として初めて出会ったのが、何とクリストファー・コロンブスなんです。当時の様子が、彼の子であるフェルナンド・コロンブスが書いた『提督クリストバル・コロンブスの歴史』に収められています。
それによると、クリストファー・コロンブスが最後の航海(1502~1504年)でホンジュラス沖合のグアナハ島に到着したとき、マヤ人らしき人々が載ったカヌーと遭遇しました。その積み荷は木の根や豆、トウモロコシや酒、アーモンドだったようです。
そしてそのアーモンドが海に落ちた際に、まるで自分の目でも落としたかのように血眼になって拾い集めていたという記録が残っています。このアーモンドと書かれていたものが後に、カカオ豆であったということが判明しました。
当時のコロンブスは新大陸発見に夢中だったため、カカオには興味を示しませんでした。もしコロンブスがカカオを持ち帰っていたら、歴史は変わっていたかもしれませんね。
まとめ
・チョコレートの語源は苦い水という意味のショコラトル
・実はコロンブスもカカオに遭遇していた
最後までお読みいただきありがとうございました。
それでは、よいチョコレート日和を。
Bon Chocolat!