戦争を乗り越えて現在へ!昭和時代のチョコレート

こんにちわ。こちらは『チョコレートをエンターテイメントにする』をテーマに、×Chocolatのakiが綴るブログです。チョコレートの面白さについて、様々な角度から発信しています。

さて、今回は昭和時代のチョコレートのお話です。

ノワール
やっと今に近づいてきたね!昭和はチョコレートにとってどんな時代だったの?

今皆さんが知っているチョコレート菓子、実は昭和に生まれたものがたくさんあるんです。ですが現在に続くためには、長い戦争を乗り越えなければいけませんでした。これからその辺りについて、お話ししていきますね。

それでは早速、進めていきましょう!

戦争の狭間の黄金期

第一次世界大戦後から日中戦争が始まる1937年までは、チョコレートの需要が一気に拡大しました。

大正時代に森永、明治をはじめ大量生産できる体制が整ったこと、新商品の発売、広告、海外進出などがあり、黄金期を迎えます。

当時のチョコレート業界の様子は、1931年の全国菓子飴大品評会での審査総長、慶松勝左衛門のコメントから窺い知ることができます。

チョコレートの類は最近著しく純良の製品を産し、舶来品に比し、遜色なきに至れり。想ふにチョコレートに対する一般の嗜好は今後一層拡大せらるるものと謂うべく、更に不断の研究を要すべし。

引用:日本チョコレート・ココア協会

戦時中の苦境

ところが一転、1937年の日中戦争開戦後は苦境が続きます。輸入制限令や戦争の苦境により、カカオ豆の自由輸入が不可能となってしまったのです。

森永製菓や明治製菓は規制がかかりながらも何とか海外に販路を見出し、業界団体を結成して防衛策を計りますが、ついに1940年12月の輸入を最後に、正規ルートでのカカオ豆の輸入は途絶えてしまいました

ノワール
カカオ豆が入らないと、チョコレート作れないじゃん!

そう。カカオ豆から取れるカカオバターは医薬品などに使われていたので、必要な分のみは軍ルートで配給されました。

更に軍の食糧として、気温の高い戦地でも食べられる、融点の高い代用油脂を使った溶けないチョコレートをはじめ、カフェインを混ぜた居眠り防止食や気を奮い立たせる蜃気食が製造されました。

ですがそれ以外のお菓子用途の輸入は難しかったようですね。

なので1950年までの10年間、代用品によるチョコレートの開発が行われました。

カカオ豆の代用として百合根、チューリップ球根、オクラ、チコリ、芋類、小豆を使用し、カカオバターの代用として大豆油、ヤブニッケイ油など。バニラを香り付けで使用して製造されました。

ノワール
戦時中の苦しい状況でも、何とかしてチョコレートを食べたかったんだね。

敗戦後の再開と進化

1945年の終戦後、進駐軍が持ち込んだチョコレートで日本人はその味を思い出します。

進駐軍に向かって子供たちが「ギブミーチョコレート!」と集まっていく様は、終戦の代名詞にもなっていますね。

製造が再開されたのは1950年。僅かながらに輸入が再開されたことと、1952年に砂糖の自由販売、1960年にカカオ豆の輸入自由化によって製造が本格化します。

ノワール
やっと解禁!これで作れるね!

そうなんですが、そう簡単に元には戻らなかったようですね。1960年以降はチョコレート消費が急増しましたが、原料は高価でした。

なのでカカオバターの代わりの代用油脂や粗悪な代替材料を使用した値段の安いチョコレートも出回りました。

その一方、アーモンドや洋酒入りなどの進化した商品も登場。今でも続くロングセラー商品が生み出されます。

ノワール
戦後40年の間に日本のチョコレートは大きく進化したんだね!

まとめ

昭和のチョコレート
・戦前はチョコレートの消費が拡大した黄金期

・戦時中の苦境は代用品で乗り切る

・戦後は今でも続く様々なロングセラー商品が発売された

最後までお読みいただきありがとうございました。
それでは、よいチョコレート日和を。
Bon Chocolat!

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ABOUTこの記事をかいた人

1984年生まれの大阪在住。 社会人として12年の間、洋菓子業界を様々な視点から経験。現在はフリーランスのショコラティエとしてメディア運営や企業コンサルタントを中心に活動中。