王室だけじゃない?イギリスのチョコレートの歴史

こんにちわ。こちらは『チョコレートをエンターテイメントにする』をテーマに、×Chocolatのakiが綴るブログです。チョコレートの面白さについて、様々な角度から発信しています。

さて、今回は17〜18世紀イギリスのチョコレート事情についてです。

ノワール
イギリスとチョコレートってあんまり結びつかないね。

確かに日本人にとって、イギリス発祥のチョコレートブランドはあまり思い浮かばないかもしれないですね。

ですが当時のイギリスではちゃんと文化に根付くものとして存在していました。これから詳しく話していきますね。

それでは早速、進めていきましょう!

市民革命を経てチョコレートが浸透

出典:世界の歴史まっぷ

スペインやフランスではチョコレートが一部の特権階級だけのものとして楽しまれていましたが、イギリスでは少し違った広まり方をします。

というのも、初期から庶民にも手の届くものとして広まっていったんですね。これには1649年に清教徒革命を率いて共和制を敷いたクロムウェルの存在があります。

ノワール
共和制って、ナニ?

共和制というのは、特定の個人や階級のためでは無く、全人民の共通の利益を求める体制のことですね。

なのでチョコレートも特権階級だけのものではなく、早い段階から庶民に親しまれるものとして広まっていきました。

さらに1655年にはクロムウェルがジャマイカ島をスペインから奪い取ったことで、この島がイギリスへの重要なカカオ供給源になりました。

イギリスにおけるチョコレートの最初の記録は1657年で、1659年には新聞に販売店の広告が次のように記載されています。

西インド渡来の素晴らしい飲み物、チョコレートを、ビショップスゲート通り、クイーンズヘッド小路にて販売中。〈中略〉その場で飲むもよし、材料を格安で買うもよし、用い方も伝授。その優れた効能はどこでも大評判。万病の治療、予防に効果あり。効能を詳しく解説した本も同時に販売。

引用:チョコレートの歴史

これにより、チョコレートが庶民にも手頃な価格で入手でき、広く一般にも楽しまれていたことが分かります。

コーヒー・ハウスの出現

1658年にクロムウェルが亡くなり、イギリスは1660年に再度王政へ戻りました。クロムウェルの独裁体制に懲りた反動からか、自由な風潮が生まれました。

そのような雰囲気の中で誕生したのが、コーヒー・ハウスです。

客同士はコーヒー・お茶・チョコレート(この時点ではまだ飲み物)・タバコなどを嗜みながら政治的議論や情報交換を行なっていました。しかしそれだけでは無く、ギャンブルや陰謀画策の場としても利用されていたようですね。

現代で言うところのクラブみたいなもんでしょうか。社交場として発展し、18世紀前半にはロンドンに数千件のコーヒーハウスがあったと言われています。

コーヒー・紅茶の台頭

コーヒーハウス出現により、人々は嗜好品としてコーヒー・紅茶・チョコレートを楽しんでいましたが、ここで一つ問題が。

チョコレートはコーヒーや紅茶に比べて手間がかかるということ。お湯を注げば完成するそれらに比べて、チョコレートはカカオ豆をローストしてすり潰すところから始めなければならず、時間がかかりすぎていました。

この問題を解決するバンホーテンの登場まで、チョコレートは停滞を余儀なくされます。

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2020年8月2日

まとめ

イギリスのチョコレート事情
・17世紀からチョコレートは市民に親しまれていた

・コーヒーハウスという社交場が登場し、コーヒー、紅茶も楽しまれていた。

・手間がかかるチョコレートはコーヒー・紅茶から遅れをとることになる

最後までお読みいただきありがとうございました。
それでは、よいチョコレート日和を。
Bon Chocolat!

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ABOUTこの記事をかいた人

1984年生まれの大阪在住。 社会人として12年の間、洋菓子業界を様々な視点から経験。現在はフリーランスのショコラティエとしてメディア運営や企業コンサルタントを中心に活動中。