こんにちわ。こちらは『チョコレートをエンターテイメントにする』をテーマに、×Chocolatのakiが綴るブログです。チョコレートの面白さについて、様々な角度から発信しています。
さて、今回はスペインに持ち込まれたチョコレートが広まっていった経緯についてお話ししますね。
そう。けどやっぱり美味しいものは隠しきれなかったみたいですね。少しずつ他国へ秘密が漏れ始めます。その辺りについて、詳しくお話ししますね。
それでは早速、進めていきましょう!
スペインからヨーロッパへ
スペインから伝わった『薬』
前回の記事で、カカオが最初に伝わった国スペインではチョコレートが「ショコラトル」という飲み物で広まっていたとお話ししましたね。
このショコラトル、商人や修道士の手によって国境を超えて漏れ伝わってしまいます。そして1606年にはスペイン王室に出入りしていたフィレンツェの商人アントニオ・カルレッティの手によって、カカオ栽培から加工技術、飲料製造法がイタリアへ伝わってしまいました。
面白いことに各国ではチョコレートが薬として広まっていました。1644年、ローマの医師パオロ・ザッキアによりこのように記述されています。
ある薬について一言触れておきたい。それはほんの数年前にポルトガルからわが国にもたらされた薬で、西インド諸島から来たものらしく、シャコラータと呼ばれている。
引用:チョコレートの歴史
早朝に摂取すれば、チョコレートは胃を快くし、消化を助ける
これにより、チョコレートがポルトガルからイタリアに伝わったこと、そして薬として認識されていたことが分かりますね。
飲み物or食べ物論争
チョコレートがヨーロッパで広まる要因となった一つに、聖職者の影響もあります。
16世紀には多くの聖職者もメソアメリカに上陸しており、そこで原住民にとってカカオが重要なものであること、カカオを贈られたこと、農園や飲み物について記述を残しています。
そんな最中、ある論争が巻き起こります。それが「チョコレートは飲み物か、食べ物か?」というもの。
いや、それは現代のフードファイターだけですね。今の我々からするとチョコレートなんて食べ物に決まってるんですが、当時はそうじゃなかった。
というのも、彼らには「断食」があった。つまり、チョコレートが「食品か、薬品か」「液体か、固体か」によって、断食の規則に違反するか否かの論争が起こりました。
違反にはならないと主張したイエズス会側の主張はこうです。
それに対し違反だと主張したドミニコ会側の主張はこうです。
と主張しました。1569年にはローマ教皇ピウス5世が
と判断したものの、脂肪分が豊富で体温を上昇させることを指摘し、食べ物であるという主張をする医師があとを絶ちませんでした。
そしてこの論争は16〜17世紀に亘って100年近く続きました。日本人にはなかなか理解しがたい論争ですが、それほど海外では宗教というものが重要なんですね。
フランスへ伝わったチョコレート
チョコレートがフランスに伝わったのには2つの婚姻が関係しています。それが
- 1615年のフランス国王ルイ13世とスペイン国王フェリペ3世の娘アンヌ
- 1660年のルイ14世とフェリペ4世の娘マリア・テレサ
です。それぞれチョコレートそのものを持ち込んだり、お抱えの料理人を連れてきました。これがきっかけでフランス貴族階級の女性を中心にチョコレートを飲む習慣が大流行し、やがて庶民にも広まることになりました。
2つのルートで浸透
カカオは16〜19世紀にかけてヨーロッパで浸透していきましたが、それには2つのルートがあったようです。
1つはスペイン、ポルトガル、イタリア、フランスなどの地中海沿岸の南ヨーロッパのカトリック諸国。そしてもう1つはオランダ、イギリスなどの北西ヨーロッパ。
この過程がヨーロッパにおけるお茶やコーヒーが広まるのとほぼ同時期だったことも、のちにチョコレートが改良される大きな要因となっています。
ヨーロッパ各地のカカオ栽培
そしてチョコレートが伝わった各国では、植民地を利用してカカオの栽培が進んでいきます。
・トリニダード・トバゴ、ホンジュラス、キューバ、ベネズエラ、コロンビア(16世紀)
・フィリピン、インドネシア、ペルー(17世紀)
・ブラジル(16世紀)
・サントメ島、プリンシペ島、ビオコ島(19世紀)
・ドミニカ共和国、グレナダ(17世紀)
・マルティニーク島、セントルシア島(18世紀)
・アイボリーコースト、マダガスカル、ベトナム(19世紀)
・インド、スリランカ(18世紀)
・インドネシア、マレーシア(18世紀)
・ガーナ(19世紀)
・カメルーン(19世紀)
今でこそ全世界のカカオ豆生産の76%がアフリカ産になってますが、栽培が伝わったのは割と最後の方なんですね。
まとめ
・チョコレートが飲み物かどうかについて各地で論争が起こった
・各国は植民地を利用してカカオ栽培を広めていった
最後までお読みいただきありがとうございました。
それでは、よいチョコレート日和を。
Bon Chocolat!