こんにちわ。こちらは『チョコレートをエンターテイメントにする』をテーマに、×Chocolatのakiが綴るブログです。チョコレートの面白さについて、様々な角度から発信しています。
さて、今回は少し時代が進んで、16世紀ごろのスペインのお話をしていきたいと思います。
確かに今となってはチョコレートの本場といえばフランスをイメージするかもしれませんね。
でも、ヨーロッパへ最初にカカオが伝わったのは実はスペインなんです。その辺りの話について、詳しく話していきますね。
それでは早速、進めていきましょう!
カカオが最初に持ち込まれた国、スペイン
前回の記事で、1521年にメソアメリカのアステカ文明が、スペイン人の征服者、エルナン・コルテスによって滅ぼされたことはお話ししましたね。
これを皮切りに、スペインはメソアメリカ地域を植民地化していきます。
コルテスの記述
コルテスはアステカ帝国の様子をスペイン本国に報告する中で、チョコレートの語源ともなったショコラトルについてこのように述べています。
アステカ帝国の人々は、カカバクアルイトルという樹(カカオの樹)の実の内部の果肉部をカカバセントリとよび、その種(カカオ豆)をカカオトル、そして、このカカオトル(カカオ豆)でつくった飲み物をショコラトルといっている
引用:「チョコレートの科学」
モンテスマⅡ世の晩餐会では、テーブルに、泡だった飲みもののショコラトルを入れた大きな壺が、料理を盛り付けた皿の間に五十以上運び込まれた
カカオ到来にまつわる2つの説
そのように記述しているコルテスですが、カカオがいつヨーロッパへ到達したかについては2つの説がありますので、お話ししておきますね。
一つはコルテスがアステカ帝国からカカオを持ち帰り、1528年に時のスペイン国王カルロスⅠ世に献上したという説。
そしてもう一つは、1544年にドミニコ会士と同行したマヤ人がフェリペ皇太子に謁見した際の贈答品として持参したという説。
どちらの説が正しいにしろ、16世紀スペインではすでにメソアメリカとの交易が盛んに行われていましたから、この頃に伝わっていたのは間違い無いですね。
スペインがショコラトルを独占
そうしてスペインに伝わったカカオですが、前述したように当時はショコラトルという飲み物として、一部の特権階級のみが口にできるものでした。
はじめのうちはアステカ式に倣い、水やトウガラシ、トウモロコシの粉などでショコラトルを作っていました。ですがやはり苦い水に嫌気がさしたのか、彼らなりにアレンジし始めます。
手始めに15世紀にはヨーロッパに伝わっていた砂糖で甘みをつけ、トウガラシの代わりにシナモンやアニス、黒コショウを用いるようになりました。
また泡立てに関しても、ペースト状のカカオを一度温めてから泡立てる方式に変えていきました。
そう。やはり味が彼らには我慢できなかったんでしょうね。
そしてアレンジはレシピのみならず、すりつぶしたカカオを板状にして貯蔵や運搬に便利な形にし、飲むときに熱い湯や砂糖を入れて作るという方式も考え出されました。
このようにしてショコラトルは、スペイン宮廷で広く飲まれるようになっていきました。当時は贅沢な飲み物には疲労回復や長寿、強精の効果があると信じられ、国外へ持ち出すことが禁じられました。
そのため、ショコラトルは100年の長きに渡って、ほぼスペインの独占状態となりました。
まとめ
・16世紀にはカカオがスペインに渡っていた
・スペイン人はショコラトルを自分たちなりにアレンジして楽しんでいた
最後までお読みいただきありがとうございました。
それでは、よいチョコレート日和を。
Bon Chocolat!