こんにちわ。こちらは『チョコレートをエンターテイメントにする』をテーマに、×Chocolatのakiが綴るブログです。チョコレートの面白さについて、様々な角度から発信しています。
さて、今回からは日本におけるチョコレートの歴史についてお話しします。
はい、実はチョコレートは江戸時代には日本に伝わっていたと言われています。ただ本格的に知られるようになったのは明治維新後ですね。その辺りについて、詳しくお話ししますね。
それでは早速、進めていきましょう!
日本人、チョコレートとの初遭遇
江戸時代
日本に初めてチョコレートが伝わったのは江戸時代と言われています。最初の記録は1797年、長崎「寄合町諸事書上控帳」にある遊女の貰い品目録に記されている「しょくらあと 六つ」となっています。
この「しょくらあと」がチョコレートのことで、江戸時代の鎖国政策時に長崎の出島で暮らした遊女がオランダ商人からもらったものと考えられています。
またその後、パリ万博へ視察へ向かった幕府代表の徳川昭武は、1868年8月3日に
朝8時、ココアを喫(の)んだ後、海軍工厰を訪れる
引用:徳川昭武 幕末滞欧日記
と記しています。この頃にはイギリスでイーティングチョコレートが発明されていますから、もしかしたらココアだけでなくチョコレートも食べていたかもしれませんね。
明治時代
明治時代になると公式記録としてチョコレートの存在が記録されます。1873年、岩倉具視が欧州視察の際にチョコレート工場を見学しており
錫紙にて包み、表に石板の彩画などを張りて、其美をなす、極上品の菓子なり。此菓子は、人の血液に滋養をあたえ、精神を補う功あり
引用:特命全権大使米欧回覧実記
と記されています。これが公式文献に書かれた日本人とチョコレートとの出会いとなっています。
チョコレートの受難
加工製造の始まり
1878年、日本初のチョコレート加工製造、販売が東京・両国の米津凮月堂(現在の東京凮月堂)で始まります。
とはいえカカオ豆からの製造ではなく、原料チョコレートをヨーロッパの職人が加工製造するものでした。
この頃チョコレートは「猪古令糖」「貯古齢糖」「千代古齢糖」という当て字で広告に掲載され、存在が広められました。
余談ですが、「千代古齢糖」という名前のケーキもあります。1753年創業のお茶屋さんが作った抹茶チョコレートケーキ。抹茶が濃厚で美味しそうですね。
いわれのない噂
そんなチョコレートですが、すぐには日本人に受け入れられなかったようです。もともと牛乳に馴染みのなかった日本人には、いわゆる乳臭いものは抵抗があったようで。
しかも当時は「牛肉を食べれば角がはえる」という、今からすると笑い話のような噂が真顔で広められる時代でした。「牛の乳が入っている」というのを「牛の血が入っている」と聞き違えたことから、チョコレートは避けられる存在となってしまいました。
そんな事情もあり、明治時代におけるチョコレートはスペイン、フランスなどと同じく一部の特権階級だけのものとして楽しまれていました。
板チョコ製造の始まり
1899年には、アメリカから帰国した森永太一郎が森永西洋菓子製造所(現森永製菓)を立ち上げ、キャラメル、マシュマロと共にチョコレートクリームの製造も開始します。
これが日本におけるチョコレート産業の第一歩となりました。
1903年には、内国勧業博覧会という、万博の国内版のような博覧会で森永チョコレートクリームが3等賞を受けたこともあり、1909年には日本初の板チョコの生産を開始しました。
とはいえ、まだまだ国産のチョコレートは高価な時代。大衆の理解を得るのは難しかったようです。
まとめ
・値段や根拠のない噂でなかなか広まらなかった
・1909年に森永が日本初の板チョコ製造を開始
最後までお読みいただきありがとうございました。
それでは、よいチョコレート日和を。
Bon Chocolat!